その日の真夜中。突然鍵が開いて入ってきたのは、髪の毛の長い女の人……じゃなくて、大くん! バレないように女装してきてくれたのだ。「美羽、どうしても会いたくて女装してきた」ギュッと抱きしめてくれる。「大くんっ」彼の長い腕に抱きしめられると安心して体の力が抜けるような感じがした。「一人で不安だっただろ。ごめん。俺が美羽と、子供を守るから」「うん……。でも本当にいいのかな……」「芸能界にはいられないかもしれないけど、苦労させるかもしれないけど」「いいの。一緒にいてくれればいい」お互いに涙を流し合う。なにもなくていい。苦労してもいいから、どうか一緒にいさせて。祈るような気持ちだった。お腹に手を当てた大くん。「元気で生まれてくるんだぞ」優しいパパの顔で、私までもが和んだ。「……芸能界の仕事を途中で諦めてしまうのは心苦しいことなんじゃないのかな?」「そうだけどね……。社長は絶対に許してくれないと思う。俺の中ではメンバーも事務所もものすごく大事なものだけど、でもすべてを選べないとしたらやっぱり大切なのは美羽だ」「……」納得できるものではない。「難しい顔をしないでくれ」「……うん」話し合いを重ねてもその日は結論を出すことができなかった。「まずはご両親に妊娠しているということを伝えるべきだ。俺も近いうちに挨拶に行かせてもらう」「わかった」「必ず俺と一緒に行こう」布団の上で抱き合って眠る。大好きな人の呼吸を感じながら、眠る幸せは、何にも変えられない。大くんは、太陽が昇る前に帰ってしまった。仕方がないことなのだけど、ちょっぴり切ない。
一眠りして目が覚めた。両親へ妊娠の報告をするために久しぶりに実家に帰った。必ず俺と一緒に行こうと言われたけれど、まずは私の口から伝えるべきだと思って一人で行ってしまった。母は突然の娘の帰宅を喜んでくれた。もう少し頻繁に帰ってきてあげればよかったと反省する。父が帰って来るまでは黙っていた。父が帰宅して言おうと思うと緊張してなかなか言えない。大学はどうするのかとか、結婚はできるのかとか。一人で説明できるだろうか?やっぱり、大くんに相談してから来るべきだった。黙り込んだ私を見て「何かあったんじゃないの?」と優しく問いかけてくる。いつかは、言わなければいけない。隠し通せることじゃないのだから。「COLORって知ってる?」「ああ、アイドルグループの?」「うん」親世代にまで浸透しているのだと、実感した。父は「あー、聞いたことあるよ。会社の子でファンがいるみたいだ」と教えてくれた。私を大事に育ててくれて、自分にとって自慢の両親だ。赤ちゃんを妊娠して改めてそう思えるようになった気がする。私は、もう、母親なのかもしれない。「そのアイドルがどうしたの?」「実はね……お付き合いしてるの」「騙されてるんじゃないだろうな?」いつも温厚なお父さんが、ムッとした口調になる。「騙されてなんかない。ちゃんと、愛されてるの」「お父さん、美羽だって年頃なんだからボーイフレンドくらいできるわよ」「ん」ちょっと不機嫌に言ったけど、お父さんは私を大事に思ってくれてるのだと思う。箸を置いた私。なんとなく張り詰めた空気が漂った。ちゃんと、伝えよう。ゆっくりと、でもハッキリとした口調で言った。「……赤ちゃんができました」怒鳴りだすかと思ったお父さんは、冷静な顔をして食事を続ける。「どうするつもりなの?」母が聞いてくる。「産む」「大学は? 結婚は? 相手の人はなんで一緒に来ないの?」「週刊誌に撮られて……今は、おおっぴらに会えないの。でも」「でもじゃない。責任取ってもらわないと。甘ったれたこと言わないで。今すぐ、ここに来てもらいなさい!」激しく怒る母の目には、涙が滲んでいる。唇を噛み締めながら怒りを露わにしている様子を見て、この妊娠は正しくないものだと感じた。「美羽! 美羽!」母はパニック状態で、私の名前を連呼する。父は、固まったままだった
一時間後、チャイムが鳴った。玄関に向かうと、大くんはスーツ姿で本当に訪ねてきた。パパラッチに狙われる危険な行為だったのに、急いで来てくれたのだろう。玄関に歩いてきた母に向かって「紫藤大樹と申します」と頭を下げた。リビングに通された大くんは、ハッキリとした口調で「結婚させてください」と言うと頭を床につけた。私のために、そこまでしてくれるなんて。「キミ、娘はまだ大学生なんだ。重大なことだとわかっているのか?」「はい。美羽さんを愛しています。順序が正しくないことは承知しております」「アイドルなんだろ? 今、結婚したら仕事はどうするんだ。守っていけるのか?」「……」大くんは、じっと父を見つめると何も言えなくなってしまった。「子供を産むのは絶対に許さない。堕ろしてもらう。そして、娘に一生会うな」父は絶対に譲らないと言った言い方だった。「お父さん、嫌っ。私は……産みたいの!」「美羽。冷静になりなさい」ものすごく強い口調で咎められる。「どんな状況になっても美羽さんと、子供を命がけで守ります。貧乏生活になるかもしれませんが、絶対に努力して」「貧乏させるために、一生懸命育てたわけじゃない。ふざけるな! 人の娘のことを何だと思っているんだ」大くんは、私の手をギュッと握った。「美羽。俺のこと信じて」「大くん」父は激怒して立ち上がり、大くんの頬を思い切り殴った。正座していたのに、倒れていく。「大くんっ!」駆け寄る私は父を睨む。「最低!」「帰りなさい。帰れ!」父は大くんに向かって大声で叫んだ。大くんはゆっくり立ち上がる。「今日は突然のことで本当に申し訳ありませんでした。理解していただけるまで、通います。俺は、真剣です」私は家に帰ることが許されず、実家にしばらくいることになった。携帯も奪われてしまい、誰とも連絡を取れない状態にされたのだ。泣いた。ずっと泣いていたけれど、父親も母親も、私への愛があるからこそ怒っているのだと感じる。でも、こんな状態で生きているなんて辛すぎて、食べることもできない状態だった。
実家に来て三日目。母と二人で、リビングにいた。何も話さないまま黙ってテレビを見ていると大くんが映り、母は電源を消した。「今、何週なの?」「十二週……」「あまり時間が無いわね。美羽、どうしても産みたい?」「うん」「紫藤さんと結婚できないかもしれないし、一生、彼と会えないかもしれない。それでも?」一生会えなくなるということはどういうことなのだろう。会えないなんて苦しくて辛くて、私は耐えられるだろうか。それが許されないのなら、子供は下ろさなきゃいけないっていうことだろうか?もしそうなら……大好きな人に一生会えなくても、それでも、私は赤ちゃんを産みたい。辛くても、苦しくても……。「お父さんは、いろいろ考えてくれたんだと思う。二人にとって一番いい未来を。娘をあんなに愛してくれて……嬉しいよ。でも、彼の仕事は人気商売。夢を与えることなのよ」「……うん」まさか、自分がシングルマザーになるなんて考えてもいなかった。「子供を一人で産んで育てていくというのはものすごい覚悟なの。簡単なことではない。母親の先輩として私から言えることはそれだけよ。よく考えなさい」「……わかった」でも、心の中ではまだ、大くんが迎えに来てくれると期待しているのかもしれない。
そんな話をした夜。父が帰ってきた頃、突然の来客が来た。母が玄関に向かっていく。こんな時間に誰が来たのだろうか。しばらくしても玄関から戻ってこない母の様子を父が見に行った。私も気になって玄関まで行くとそこにはCOLORのメンバー黒柳さんと、赤坂さんと大人の女性がが立っていた。「COLORの所属している事務所の社長さんだって」母が父に向かって言う。「上がってもらいなさい」応接室に入ってもらうと母はお茶を出した。「お構いなく」彼女は名刺を差し出してテーブルの上に置いた。「事務所社長の大澤穂希と申します」年齢は三十代だろうか。とても美人な女社長だ。「うちの大事な商品に、傷をつけたお詫びをしていただきたく参りました」「……と、言いますと?」「顔に傷がついておりまして、仕事をいくつかキャンセルさせたので」父は怒りのあまり手をあげてしまい、顔が赤く腫れてしまったのだろう。痛くないだろうか大丈夫かと心配になる。「うちの大事な娘を妊娠させておいて、なんですかそれ」父は冷静な口調だったけれど怒りをなんとか抑えているかのようだった。「ええ。お互いにとって一番いいのは、中絶だと思います。お嬢様の将来のためにも」「嫌です」咄嗟に言い返すと、大澤さんは笑顔を向けてきた。笑っているのにひどく冷たいものだ。「日本中に愛されるべき男をそんなにも、独り占めしたいの?」「……」まさかそんなこと言われるとは思わなかった。独り占めしたいだなんて思っていない。できることなら芸能界の仕事を続けてもらって、その上で結婚も認めてもらいたい。でもそんなに簡単なことではないのだろう。言葉に詰まり私は瞳を白黒させた。「俺らの夢を壊さないでください」赤坂さんが真剣な眼差しを向けてこちらを見てくる。自分の幸せが人の夢を壊す……。そんなこと、考えもしなかった。「帰ってください」今まで黙っていた母が震えながら言う。「お腹の子供には罪はありません。子供のことは、私たち家族で考えます。不安定な職業の男性と結婚なんてさせられませんし、今後一切関わらないことを約束します。紫藤さんにも娘のところには会いに来ないでと伝えてください」「ええ。同意見です」ニコッと笑った大澤さんは封筒を差し出した。「少ないですが、お詫びの印です」父は封筒を押し返した。「いりません」「
*大くんに会えなくなって一週間が過ぎた頃、実家近くの公園で空を見ていた。定期検診に行ってきた帰りで歩くのは疲れたので少し休むことにしたのだ。すると人が近づいてきた。誰だろうと顔をよく見ると大澤さんだった。まさかこんなところに現れると思わなかったので驚いて固まってしまう。「こんにちは」「……っ」「まだ、お腹にいるの?」「……」私が座っているベンチの隣に腰を降ろした大澤さんは、私に日傘を差してくれる。「愛してるのね。紫藤を愛してくれて本当に、ありがとう」柔らかい声が耳に届いて驚いた私は、思わず大澤さんを見てしまった。「この前は失礼な言い方してごめんなさいね。紫藤は、本当に才能がある男なの。きっと十年後には国民的芸能人になっていると思うわ。歌だけじゃなくて、演技も、番組の司会もできるマルチタレントになっていると思う」柔らかな風が吹く。だけど、それが切なくて泣きそうになった。「今は小さな種かもしれない。だけど、間違いなく大きく花が咲くわ。あなたなら、近くで見ていたからわかるでしょう? 彼はたくさんの人に愛される人間。そしてたくさんのファンを幸せにすることができる力を持っている人。この世界にはね結婚もタイミングがあるのよ。祝福される時と、憎まれる時期とね……」コクリとうなずいた。痛いほどわかる。大くんは、スターになるべくして生まれた人なのだ。どう考えたって今は結婚するタイミングではない。「その彼の可能性を、あなたが奪っていいの? 大事な芽を潰してもいいの? 愛しているなら、身を引くって選択もあるのよ。静かに見守る愛もあるの。女としてそういう愛し方もあるのよ」涙がポロッと落ちた。ハンカチをさっと出してくれる。「紫藤も辛いはずよ。だからね、あなたに憎まれ役を演じてもらいたいの」「どうやって、ですか?」「手紙を書いてもらえないかな。中身は嘘だらけになるかもしれないけれど」「嘘?」そういうことだろうと思って私は首を傾げた。「紫藤との結婚よりも、未来の安定を選びましたって」「……」「辛い思いをさせて本当に本当に、申し訳ないわ」大澤社長はこの前実家に訪れた時とは印象が違って、少し理解のある人に見える気がした。「……わかりました」手紙を書いて、大澤さんへ郵送することを約束した。私は……大くんの幸せと、COLORの夢、た
家に帰って手紙を書いていると、母が帰ってきた。公園で大澤さんに会ったことを伝える。「そう……」「でもね、もう少しギリギリまで赤ちゃんのことは考えさせて。お母さん……わがままな娘でごめんね」「美羽」ギュッと抱きしめてくれた。「女として産みたいのは、わかる。……お母さんと一緒に育てようか?」「いいの?」「うん。お父さんはなかなか許してはくれないだろうけど、お父さんを一緒に説得しよう」「ありがとう……お母さん」抱きしめ合って、涙を流した。もう、メソメソしていられない。お腹の子供のために、頑張らなきゃ。二日後、手紙を書き終えた。『紫藤様短い間でしたがお世話になりありがとうございました。私は自分の将来を考えて、子供は産まない決断をしました。このことは一生誰にも言わない秘密にします。仕事に励んで頑張ってください。さようなら』涙を流しながら封をした。ポストに投函する瞬間。もう、永遠に大くんに会えないのだと思うと、悲しくて逃げ出したかった。「大くん……」短い期間だったけど、見つけてくれて、愛してくれてありがとう。絶対に、スターになって幸せを世の中に届けてください。大くん笑顔、怒った顔、泣きそうな顔、リラックスした顔、キスした直後の照れた顔がフラッシュバックのように蘇った――。ストンと手紙はポストの底に落ちた。さようなら、大くん。その後、私が住んでいたアパートは引き払って実家で暮らしはじめた。新しい携帯にして真里奈に連絡を取り、しばらく実家にいることを伝える。『そうだったのね。心配したよ。でも、産む決意をしたんだね。安産を祈ってるから』大学は夏休み期間中を終える前に、休学手続きを取ることにした。母子手帳をもらって、私は生まれてくる名前を考えていたりしている。女の子かな。男の子かな。出産への不安はあるけれど、やっぱり、楽しみだ。早く、成長しないかな。会いたいな。母が私を妊娠中、こんな気持ちだったのだろうか?悲しい中でも、前向きに頑張ろうと思っていた。これから私は母を説得した。なかなか首を縦には振ってくれなかったけれど、最後には宿った命には罪がないと理解をしてくれ、実家で産んで育てることを許してくれたのだ。
*九月になり私は強い腹痛に襲われて実家の部屋の中でうずくまった。母は心配してすぐに救急車を呼んだ。運ばれて担当の医者がすぐに体の様子を見てくれる。お願い。私と大くんの大事な大事な赤ちゃんを助けてください。祈るような気持ちで検査を受けていた。医師は表情を明らかに曇らせた。嫌な予感がした。ざわざわして仕方がない。もしかしてお腹の中で無事に成長していないのだろうか。「……どうかしましたか?」「胎児の活動が停止しています」「……え? どういう意味ですか?」「残念ながら、流産したということになります」あまりにも残酷すぎる言葉が降ってきた。どうして、どうして。「信じられないです……!」声を張り上げて泣いたのは、はじめてだったかもしれない。赤ちゃんの心臓は……もう、動かなかった。出血が多く強い腹痛があったため手術をすることになり、私は緊急入院したのだ。母が付き添ってくれ、私は手術室へと向かった。手術はあっという間に終わり、気がつけば私はベッドの上で眠っていた。そっと瞳を開くと病室に母がいてくれた。お腹に手をあてる。もう、いないんだ……赤ちゃん。大くんの赤ちゃん……。母は私の手をギュッと強く握ってくれた。閉じている瞼から、涙がこぼれ落ちる。「あなたなら、乗り越えられる試練なのよ」「試練……」「美羽を強くしてくれるために、赤ちゃんは宿ったの」「怒らないの? 避妊に失敗してって」「いっぱい怒ったでしょう。二人が愛し合っていたのはわかっているから……もう、怒れない」すごく優しい表情で頭を撫でてくれる。母親の偉大さを知ってジーンとした。「今眠ってる間に夢を見たの」「夢?」「女の子だった。たんぽぽに囲まれて、可愛い顔した……大くんにそっくりの赤ちゃん」「そう」「にっこりしてたの。ママ、大好きって言っているような気がしたよ」母は黙って話を聞いてくれていた。
「俺たちはさ、自分のやりたい道を見つけて、それぞれ進んでいけるかもしれないけど、今まで応援してくれた人たちはどんな気持ちになると思う?」どうしてもそこだけは避けてはいけない道のような気がして、俺は素直に自分の言葉を口にした。光の差してきた事務所にまた重い空気が流れていく。でも大事なことなので言わなければならない。苦しいけれど、ここは乗り越えて行かなければいけない壁なのだ。.「悲しむに決まってるよ。いつも俺たちの衣装を真似して作ってきてくれるファンとか、丁寧にレポートを書いて送ってくれる人とか。そういう人たちに支えられてきたんだよね」黒柳が切なそうな声で言った。でもその声の中には感謝の気持ちも感じられる。デビューしてから今日までの楽しかったことや嬉しかったこと辛かったことや苦しかったことを思い出す。毎日必死で生きてきたのであっという間に時が流れたような気がした。「感謝の気持を込めて……盛大に解散ライブをやるしかないんじゃないか?」赤坂が告げると、そこにいる全員が同じ気持ちになったようだった。部屋の空気が引き締まったように思える。「本当は全国各地回って挨拶をさせてあげたいんだけど、今あなたたちはなるべく早く解散を望んでいるわよね。それなら大きな会場でやるしかない。会場に来れない人たちのためには配信もしてあげるべきね」「そうだね」社長が言うと黒柳は返事してぼんやりと宙に視線を送る。いろんなことを想像している時、彼はこういう表情を浮かべるのだ。「今までの集大成を見せようぜ」「おう」赤坂が言い俺が返事をした。黒柳もうなずいている。「じゃあ……十二月三十一日を持って解散する方向で進んでいきましょう。まずはファンクラブに向けて今月中にメッセージをして、会場を抑えてライブの予告もする。その後にメディアにお知らせをする。おそらくオファーがたくさん来ると思うからなるべくスケジュールを合わせて、今までの感謝の気持ちで出演してきましょう」社長がテキパキと口にするが、きっと彼女の心の中にもいろんな感情が渦巻いているに違いない。育ての親としてたちを見送るような気持ちだろう。それから俺たちは解散ライブに向けてどんなことをするべきか、前向きに話し合いが行われた。
「じゃあ、まず成人」 赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。 「……俺は、作詞作曲……やりたい」 「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」 社長は優しい顔をして聞いていた。 「リュウジは?」 社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。 「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」 「いいじゃないかしら」 最後に全員の視線がこちらを向いた。 「大は?」 みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。 「俳優……かな」 「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」 「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。 「映画監督兼俳優の仕事。しかも、新人の俳優を起用するようで、面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」 社長が質問に答えると、赤坂は感心したように頷く。 「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」 「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」 これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。 ずっと過去から彼女は俺らのことを思ってくれている。 芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。 今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。 でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとするがお腹が大きくなってきているので、動きがゆっくりだ。よいしょ、よいしょと歩いていると、ドアが開く。大くんがドアの前で待機していた私は見てすごくうれしそうにピカピカの笑顔を向けてきた。 そして近づいてきて私のことを抱きしめた。「美羽、ただいま。先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「夕食、食べる?」「あまり食欲ないんだ。作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「あ、あのね……これ」冷蔵庫からケーキを出す。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくてついつい作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。すると中から出てきたのは……「イチゴだ!」「うん!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べる。私と彼はこれから生まれてくる赤ちゃんの話でかなり盛り上がった。その後、ソファーに並んで座り、大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「大きくなってきた」「うん!」「元気に生まれてくるんだぞ」優しい声でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくると
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。 私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたのが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった。 しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。 アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。 覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。 そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。 あまり落ち込まないようにしよう。 大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。 食事は、軽めのものを用意しておいた。 入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。 いつも帰りが遅いので平気。 私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。 これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。 今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。 でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。